崇徳院
こんばんは。山口です。
いきなりですが歌を一つ。
瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末にあわむとぞ思う
皆さまもご存知の崇徳院の読んだ歌で百人一首のひとつともなっております。
瀬の流れがはやいので岩にせき止められる急流が二つに分かれても再び合流するように、今はあなたと隔てられても将来はきっと一緒になろうと思う。
こういった意味の歌です。
僕はこの美しい歌が百人一首の中でも特に大好きです。
さて、今日は僕の趣味のお話です。
実は僕はオカルトマニアで、妖怪が大好きなのです。
なんと実は先ほど挙げた崇徳院ですが、こんなに美しい歌を読むのに日本の三大妖怪のひとりなのです!
少しだけ崇徳院の悲劇的な人生を書かせていただきます。
崇徳院は、平安時代に鳥羽天皇の子として生まれます。
しかし、鳥羽天皇のおじいさんにあたる白河法皇と鳥羽天皇のお嫁さんの間にできた子だと言われています。
一応鳥羽天皇の後の天皇に即位しますが、白河法皇が崩御すると鳥羽上皇に迫られ、天皇を引退させられてしまいます。
そんな感じで鳥羽法皇に嫌われていた崇徳上皇ですが、鳥羽法皇の崩御に伴い、さらなる不幸が襲い掛かります。
跡継ぎ問題で起きたかの有名な「保元の乱」です。
崇徳上皇と弟である後白河天皇との戦いです。
この戦いに敗北し、崇徳上皇は讃岐の国へと島流しにされます。
そんなにも不幸な人生を歩んできた崇徳上皇ですが、とても心優しいため、一所懸命に仏教を学び、保元の乱で亡くなった人々のためにお経を写本し、朝廷に送ります。
しかし崇徳上皇が呪いを込めたと勘違いをした後白河天皇がその写本を送り返してしまいます。
さすがに美しい心の持ち主である崇徳上皇も怒り狂い、日本を激しく呪ったそうです。
死ぬまで髪も爪も切らず、怨念を込めた形相は天狗か鬼かと言われたそうです。
そしてこの怨念は明治天皇が700年後に供養するまで日本に凶事を起こし続けたと言います。
・・・これが崇徳院の人生です。
とても美しい歌を作る心優しい人間であった崇徳院を妖怪にまでさせてしまった周りの人や環境がとても恐ろしいです。
しかし人間社会の危うさを指摘する大切な妖怪だと思うのです。
なぜか人は破滅や死に向かって歩んでしまう傾向にあるようです。
自分も他人も含めていつ誰が崇徳院のようになってしまうかわかりません。
かといって何か対応策も思いつきません。
人はこんな避けようもない破滅に良くも悪くも心を動かされてしまうものなのかもしれません。
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