問題です。(歴史ネタ)
こんばんは。吉田桂介です。
日本史上最高の人たらしと言われ、すばらしいアイデアマンでもあったという豊臣秀吉。
彼の伝記である、太閤記には数々の困難を、柔軟な発想で乗り越えていく様子が描かれています。
さて、秀吉が城主になったきっかけとなった、「墨俣の一夜城」の話をご存知でしょうか?
どんな話かというと、信長が隣国美濃(現在の岐阜県)を攻めていたとき、国境に長良川が流れており、
渡河しようとすると敵に攻められ、美濃を攻めあぐねていました。
そこで、長良川対岸に城を築くことにしました。
しかし敵からしたら、自分の領地に城が勝手に築かれるところを黙ってみているはずがありません。
織田家重臣が挑戦しましたが、何度も失敗しました。
そこで、秀吉が名乗りでたわけです。
そして見事成功させました。
ここで問題です。
秀吉はどのように築城を成功させたでしょう?
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③本丸に不思議な建物(城にはあるまじき)があること。
こんにちは。吉田桂介です。
今日で安土城シリーズも最後です。
③本丸に不思議な建物(城にはあるまじき)があること。
についてです。
何度も繰り返すようですが、安土城の本丸には城にはあるまじき
前代未聞の建物があります。
それは、清涼殿です。
清涼殿とは、平安京の内裏にあった、天皇が政務等を行う御殿です。
これが、京都御所に現存する清涼殿です。
天皇が政務を行う場所なので、当然、御所にしかありません。
しかし、信長は安土城の本丸に、清涼殿と酷似した建物を作りました。
これはCGの復元画像ですが、このような建物が天守閣の横にあったようです。
この事実が意味することは何なのか?
先日のブログの「本丸まで一直線に伸びる大手道」の理由と共に
天皇の行幸。もしくは平安京から遷都を考えていたといわれています。
大手門から伸びるまっすぐな大きな道を天皇一行が登る。
安土城は小高い山に建てられていたので、下からこの様子を仰ぎ見た
人々はこの様子がどのように映るでしょうか。
幕府を超え、朝廷をも超える統一王朝を作ろうとしたとも考えられている織田信長。
その証拠に、将軍も、関白も、太政大臣も宣下がありながら、拒絶しています。
そのため、本能寺の変の黒幕が朝廷だったという説も出ています。
真実は分かりませんが、信長の思想が詰まった安土城の発掘調査が進めば
もっと多くのことが分かってくるに違いありません。
最後に、現在の安土城跡のフォトギャラリーをお楽しみください。
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②城の防備性という観点で、非常に防御力が低いこと。
こんにちは。吉田桂介です。
安土城について長々と語っておりますが、僕が一番好きな城なので、
お許しください。(笑)
本日は②城の防備性という観点で、非常に防御力が低いこと。
についてです。
まず近世城郭。大阪城と姫路城の平面図をご覧ください。
大阪城
姫路城
まず基本的に、城というものは防御力がすべてです。
敵が攻めてきても、容易には攻め落とせない構造でなくてはいけません。
そのため堀を作り、門を作ります。
そして、城の中心(本丸)までの道は、直角を多用し、ところどころ道幅を極端に狭くすることで
スムーズな敵軍の侵攻を防いでいます。
当然のことながら、本丸へと続くまっすぐな道はありません。
では、安土城の平面図を見てみましょう。
安土城
地図中の赤い線をご覧ください。
大手道と言われる道です。
驚くべきことに、大手門(城の正面玄関)から本丸へと一直線に伸びています。
これは、城としてはあってはならないことです。
大手門を破られた場合、即座に敵が本丸近くまで進行してしまいます。
実際、本能寺の変時に城の居留守役をしていた、蒲生賢秀という武将は、信長が死んだと分かった瞬間、織田一族を引き連れて自分の居城に落ち延びています。
優秀な武将だったといわれる蒲生賢秀は、安土城の防御性の低さを知っていたのでしょう。
このような構造の城は、これまでもこれからも存在していません。
では、なぜこのような構造だったのか?
実際のところ、正確には分かっていませんが、③にも関係してくる「天皇」に関連することだと考えられています。
もう一つの理由としては、天下人の居城としての見栄えです。
これはCG映像ですが、大手門から天守閣までまっすぐ続く道は、城外から見ると一種の威圧感と畏敬の念を起こさせます。
こんなすごい城に住む信長すごい!と思う大衆心理を狙ったものだとも考えられます。
次回は信長と天皇の関係についてです。
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①安土城以降に建てられた城とは天守閣の構造が大きく異なること。
こんにちは。吉田桂介です。
前回の記事「安土城」の続きとなります。
①安土城以降に建てられた城とは天守閣の構造が大きく異なること。
についてです。
こちらの画像は姫路城です。
桜が綺麗ですね。
平成の大改修を終え、天守閣が純白で輝いています。
世界遺産にも登録されていますよね。
そして、こちらが姫路城の内部です。
実際に、姫路城や名古屋城など、現存する天守閣に行ったことがある方は
ご共感頂けるかと思うのですが、内部の作り、装飾がとても質素です。
壮麗な外観とはえらい違いです。
これは、後年の天守閣が通常時は倉庫、非常時には立てこもる最後の砦として使われていたため
内装を凝る必要がなかったからです。
それに比べ、こちらが安土城です。
これはあくまで復元案ですが…
外観がとても派手です。南蛮文化に大きく影響を受けていたことが分かります。
こちらが内部構造です。(あくまで復元案です)
まず目につくのは、中心に広がる吹き抜けでしょう。
本当に吹き抜けがあったのかは諸説ありますが、現在はこの説が有力です。
実は、城にこんなにも大きな吹き抜けを作るというのはデメリットしかありません。
それは、もし火災が起きた場合、火の回りが非常に早くなってしまうからです。
防災面を考えた場合、この吹き抜けは完全にアウトです。(笑)
では、なぜ織田信長は吹き抜けをつくったのか?
その理由ははっきりとは分かっていません。
なので、あくまで持論なのですが、宣教師等からこのようなヨーロッパの大聖堂
の話を聞いて、影響を受けたのかもしれません。
また、吹き抜けの用途ですが、写真にあるように吹き抜けの一階に宝塔があります。
宝塔とは、仏教由来の塔で、かつては聖人の遺骨を入れて祀っていたという塔です。
南蛮の文化に大きく影響を受けたといわれる安土城に、なぜ仏教由来の塔があったのか?
その理由も謎です。
もう一つの用途として、吹き抜けに見られる舞台が設置されており、能や幸若舞を演じて、吹き抜けの回りから鑑賞していたと言われています。
最後に、安土城の内装は非常に贅をつくしたものだったそうです。
後年の天守閣が、倉庫として利用されたのに比べ、安土城天守閣は信長自身が住んでいました。
また、天守閣という言葉を初めて使ったのも織田信長だと言われています。
※当時は「天主閣」という漢字だったようです。
このような、日本の歴史の中で、最初で最後といえる天守閣が
安土城の天守閣です。
次回は「防御性」についてです。
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安土城
こんばんは。吉田桂介です。
普段ほとんどテレビを見ないのですが、
日曜日21時~からNHKでやっている大河ドラマ「真田丸」を
毎週見ています。
日本史好きとして、大河ドラマは子供のころから好きだったのですが
今のところ、「新選組」「義経」以来の面白さです。
時代も、好きな戦国時代を取り扱っているのでハマっています(笑)
昨日も「真田丸」見たのですが、本能寺の変が起こりました。そして史実によると変後の混乱で
安土城が焼失してしまいます。
さて、この安土城。完成してから5年余りで焼失してしまったこともあり、構造に非常に謎が多い城です。
これは、安土城を描いた屏風絵です。
当時の構造を知るのに、このような絵を見るか、城跡を発掘するしかありません。
現時点で分かっているのは、
①安土城以降に建てられた城とは天守閣の構造が大きく異なること。
②城の防備性という観点で、非常に防御力が低いこと。
③本丸に不思議な建物(城にはあるまじき)があること。
です。
このような不思議な安土城の魅力は次回お伝えしようと思います。
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