吉田がお伝えする今日の校舎

2016年02月16日

①安土城以降に建てられた城とは天守閣の構造が大きく異なること。

こんにちは。吉田桂介です。

 

前回の記事「安土城」の続きとなります。

①安土城以降に建てられた城とは天守閣の構造が大きく異なること。

 

についてです。

 

こちらの画像は姫路城です。

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桜が綺麗ですね。

平成の大改修を終え、天守閣が純白で輝いています。

世界遺産にも登録されていますよね。

 

 

そして、こちらが姫路城の内部です。

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実際に、姫路城や名古屋城など、現存する天守閣に行ったことがある方は

ご共感頂けるかと思うのですが、内部の作り、装飾がとても質素です。

壮麗な外観とはえらい違いです。

 

これは、後年の天守閣が通常時は倉庫、非常時には立てこもる最後の砦として使われていたため

内装を凝る必要がなかったからです。

 

 

それに比べ、こちらが安土城です。

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これはあくまで復元案ですが…

外観がとても派手です。南蛮文化に大きく影響を受けていたことが分かります。

 

 

こちらが内部構造です。(あくまで復元案です)

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まず目につくのは、中心に広がる吹き抜けでしょう。

本当に吹き抜けがあったのかは諸説ありますが、現在はこの説が有力です。

実は、城にこんなにも大きな吹き抜けを作るというのはデメリットしかありません。

それは、もし火災が起きた場合、火の回りが非常に早くなってしまうからです。

防災面を考えた場合、この吹き抜けは完全にアウトです。(笑)

 

では、なぜ織田信長は吹き抜けをつくったのか?

その理由ははっきりとは分かっていません。

 

なので、あくまで持論なのですが、宣教師等からこのようなヨーロッパの大聖堂209-580x250

 

の話を聞いて、影響を受けたのかもしれません。

 

また、吹き抜けの用途ですが、写真にあるように吹き抜けの一階に宝塔があります。

宝塔とは、仏教由来の塔で、かつては聖人の遺骨を入れて祀っていたという塔です。

南蛮の文化に大きく影響を受けたといわれる安土城に、なぜ仏教由来の塔があったのか?

その理由も謎です。

 

もう一つの用途として、吹き抜けに見られる舞台が設置されており、能や幸若舞を演じて、吹き抜けの回りから鑑賞していたと言われています。

 

最後に、安土城の内装は非常に贅をつくしたものだったそうです。

後年の天守閣が、倉庫として利用されたのに比べ、安土城天守閣は信長自身が住んでいました。

また、天守閣という言葉を初めて使ったのも織田信長だと言われています。

※当時は「天主閣」という漢字だったようです。

 

 

このような、日本の歴史の中で、最初で最後といえる天守閣が

安土城の天守閣です。

 

次回は「防御性」についてです。

 

 

 

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