吉田がお伝えする今日の校舎

2016年02月23日

答えです

こんにちは。吉田桂介です。

 

前回の記事のクイズの答えです。

柴田勝家について、無説明だったので「だれ?」と思われたかたもいたやも知れません。

 

そもそも柴田勝家とは、信長の先代、織田信秀から織田家に仕えている重臣です。

織田家中にあって、最高位の家臣だったと言われています。

 

そして、豊臣秀吉との仲はとても悪かったそうです。

 

さて、クイズの答えです。

そもそも、その名の由来となったのは、瓶を割ったからです。(笑)

具体的にはどうなのか?

1570年に長光寺城の戦いが起こりました。

織田軍の柴田勝家は、敵の六角義賢に攻められ、籠城していました。

しかし、水を絶たれ、落城間近でした。

そして、敵の使者が降伏の勧誘に訪れたとき、水が少ないことを見破られないように

使者が手水を求めた際、瓶に入れて運んでこさせ、残りは庭に捨てさせました。

 

これを見た使者は、城にはまだ水がふんだんにあると報告。敵はまだ籠城を続けるであろうと判断し、

油断していました。

 

そのころ城内では、最後の水を兵士全員にふるまい、残りの水は瓶ごと割り、決死の夜襲を仕掛けました。

 

そして、油断していた六角勢を打ち破ったのでした。

 

織田家家臣として有名な秀吉は、どちらかというと知略タイプですが

柴田勝家は気合と根性タイプのような感じを受けます。

実際信長も、桶狭間の戦いのような半分気合と根性で勝ったような戦いもあるし、

長篠の戦いのように、知略で勝った戦いもあります。

信長自身が知略、気合両方の性質を兼ね備えていればこそ

個性が際立った織田軍を率いることができたのではないのかと思います。

 

 

 

 

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